宗像の里山を再生し、すべての基盤となる水源を次世代へ。 今、それぞれができることを・・・

・憧れと興味だけで、何の知識も持たず、郵便定期が満期になったのを期に、山をというより竹やぶを買った。余裕もないのに。今から思えば狂気です。50歳でした。数年後、息子が店を開くのに、山は抵当物件にならないなんて知りもしません、そんな事。でも私は楽しかった。ヘビもハチも今ほど怖くはなかった。毎週一人で自分の山まで出向いた。行ってもどんな作業をしなくちぁいけないのか、どうしたいのかすら解らず楽しく登っていましたよ。

・8年位経ったころ具体的に山に関すること、炭焼きや日田での各季節の山作業を習いに行ったり、ユリックスでの宗像里山の会のイベントに参加・入会。60才になっていた。どこに行くのも一緒だった犬のケンには年を越され、先に逝ってしまわれた。当座山へ行くのが怖かった。時々その時期には欲があったので、実のなる木やガーデニング的な考えで、花のきれいな木々を植えたりした。金を産む木になりはしないかと。冬きれいにした竹が春先には、またヤブになって、植えた木が負けてしまう。山本さんに頂いた渋柿10本もヒョロヒョロした背の高い1本を残してアウト。

・桜の苗木だけは10年過ぎて、私は初めて今年花見をした。並んで10本は立派に育った。山の中でひっそり毎年花をつけて誰かに見てほしかっただろうにねえ。来年70才になる自分を振り返ると毎年何の目的のないまま里山の方々に助けられ、竹やぶを整備していたが、イタチゴッコの繰り返しだけだった。

・ある時、そう 一人で山をトコトコ登っていると、様子が違うのです。山が明るい、日差しが足元を明るくしているのです。環境税施行で、用山の杉林が間伐されていた。恩恵を受けた山は、勝手に売買できないのを皆さん知っているかい。欲は実らず、現実自分の年齢を自覚するといつまでも、ばあさん一人でリュックからげて山作業をするには限界がある。将来私が行けずとも、山は山であり続けるようにするのが私の責務だと。68才になっていた。焦ったよ。

・何かに気付けば、何かが動き出す。森林組合に行った。条件が揃えば、苗木代を援助してくれる。飛びついた。その前に竹ヤブを木が植えられる状態に。又、1月3日から毎日ばあさんは山に行ったよ。援助決定。250本発注。永嶋さんに約50本提供されて、クヌギの苗木約300本を植えた。いっちょまえの山師になった気分。苗木を10本程にぎり、小さめのつるはしを持って、山を横に歩きながら植えていく。あちこちで、里山の仲間も一生懸命。うれしかった。全ての苗木に、今後、雑草と見分けがつくように赤いリボンをつけた。300本に。

・1か月後、山に行った。赤いリボンは目を凝らしても見えない。気を失いかけた。近くに行ってみると殆んど抜かれ根を喰われていた。イノシシかシカか森林組合に電話した。アナグマかもとのこと。そういえば直径20cm位の穴が数か所あった。成長しない苗木の援助は没になった。昨年3月28日のこと。

・私はまだ動ける。皆さんが「明けましておめでとう」と酒を食らっている頃、正月2日から、竹ヤブに分け入り、親指大の竹を切っては野積して、翌日焼く作業をくり返した。枝ばっかり張って幹の細い竹は炎をあげて燃えない。雑木、あおきを中に混ぜその作業を4月中旬まで続けた。途中、永嶋さんがまたクヌギを30本程下さり、翌日山へ。2月終わり、森林組合で100本購入。今年は一人で植えまくった。昨年ほどカッコウはよくなった。必死だった。

・用山を手にしてから20年目、初めて私有地全体をきれいにした。昨年の失敗を繰り返さないため、時々山に入り、リボンのついたクヌギが立っているかを確認した。5月26日で一連の作業を終え、もえつき症候群状態、自分に酔った。

・里山のメンバーにどれだけ助けて頂いたか、知識を下さった方々、苗木を下さった方々、チェンソーで大木を倒して下さった方々、本当に本当に有難うございました。間伐しただけで、小さな水の道は、いつも水が流れているし、これからクヌギが大きくなれば山あり、川ありの用山となって、桜やモミジも季節を喜ぶのが楽しみです。みなさんにも楽しんで頂きたいと、ばあさんはそう思っていますよ。
トントン。 (会員:平島玲子)  【会報11号より転載】

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